2014年1月23日木曜日

公園と少女と体育館

公園にいた。

近所の公園に似てはいるが、起伏のある構造、また遊具がない割に小川であったり体育館であったり色々なものがあって広いところが違う場所だと感じられた。

小川の水は非常に綺麗だった。水がたまっているところにきて眺める。すくって飲めそうだ。一口飲んでみた。おいしかった。

起伏のあるところに登ってみると、公園の端っこで屋台があったり、体育館が一望できたりした。隣には知らない少女がいた。何か話をしていたがよく分からない。体育館について何か話をしていたのかもしれない。

緑が多く、非常に居心地の良い空間であった。体育館に近づいてみると、どうも窓がマジックミラーになっているものの、出来が悪いのか横から見ると中が透けて見える。どうもこの鏡の窓の向こう側は畳の部屋になっているようだ。茶室なのか野点の部屋なのか。

その後も少女と一緒に体育館の周りの探検をしたが、結局体育館の中に入るすべは分からなかった。窓から中をうかがい知ることはできたが、その他に関しては普通の体育館であるということしか分からなかった。

緑の空間を満喫しつつ、やることも無くなったので公園を後にした。

2014年1月21日火曜日

ひたすら眠っていた

知らない電車内で目が覚めた。眠い。小田急線のようであるが、車両は近未来感あふれる綺麗さだ。

ふと外を眺めると、終点のようで、これまた近未来的な終着駅に停車した。停車が少しあらっぽく感じたものの、電車も駅も小奇麗であった。

しかし眠い。また眠ってしまった。眠っていたら今度は別の電車に乗っていた。なんかの地方のJRの特急列車であろうか。そこでもやはり眠かった。座席を二つ使って横になって眠っていた。本当に眠かった。

車内アナウンスを聴いていると、どうやら青森まで行くらしい。そんなところまで連れて行かれたらたまらないとそこで慌てたものの、眠さには勝てず、また夢のなかで眠ってしまった。

2014年1月20日月曜日

大家さんらしき人の家に泊まる

場所がどこだか分からなかったが、泊まるあてが無くてどうしようかと途方に暮れていたら、大家さんらしき人が現れて泊めてくれることになった。

ただ、連れてこられたところは大家さんの家ではなさそうだ。場面はめまぐるしく変わって、すぐ寝室に誘導された。誰かが直近まで生活していた感じのある部屋だ。そのままベッドに入って眠った。

ただ、眠れなくて起き上がったが、なぜか部屋から出る勇気がわかなかった。ベッドに入っていたとはいえ、枕は逆の位置にあるし、服も来たときの格好そのままである。

部屋の中にパソコンがあって、好奇心で起動してみたらWindowsが起動した。壁紙が、この家の建て替え前の家の写真であった。写真は小雨の日に撮られたようである。昭和の写真といった感じであった。

ブラウザを起動したが、思い通りにならなくて慌てて閉じた。その他のソフトも起動するが思い通りにならなくて慌てて閉じるということを繰り返した。何故かOSの終了も思い通りに行かなくて、パソコンの電源を無理やり切ってしまうのだった。

窓があったので外を見た。どこだか全く分からなかった。この部屋には水回りもあって、窓はそこについていた。洗い物には最近洗ったと思われる食器やペットボトルが乾かされるように置いてある。特にペットボトルが多かった。

パソコンのように触って思い通りにならなくなるのがいやだったので、もう探索は止めて、またベッドに入って眠ることにした。

2014年1月16日木曜日

優秀な3年A組

3年A組にいる。制服を着て生徒になっていた。高校なのか中学なのかは判別としない、見知らぬ風景の教室にいた。

学級委員長なのか今日の日直なのか、誰かが教壇に立って生徒たちをまとめている。よく聞いてみると、組の歌を作るという話らしい。意見を求めると自分以外の全員が即座に挙手する。

あまりにも熱心なクラスの生徒たちに議論が長引いているので、私が挙手せずに「紙を配ってそれに意見を書いてもらえば重複した意見もまとめられてよいのでは?」と声を出して言ったら、そのような方針となった。

私は紙に書いたのは、クラス内で作詞作曲をした場合、意図しない盗作問題が歌詞や曲に発生しないかという、一種杞憂のようなものだった。

場面は変わって神社にいた。神社には大きな組み木のようなジャングルジム的なものがあって、それをうんていのようにしながら運動していいた。

そこの横にある広いスペースには、同じ高校の生徒か卒業生らしき人達がいた。ここは神道系の高校なのかと疑問に思ったが特に聞かなかった。話をした人は神社の正装をしていた。話をしたら3年A組は熱心で期待が持てるといったことを言っていた。私も他人視点でそうですよねーみたいなことを言っていたような気がする。

2014年1月13日月曜日

不思議の国の試験監督

突然午前9時過ぎの広い教室。誰だか分からない物理の先生と私がいる。

そのせっかちな物理の先生は、私に色々な用紙の束を渡してくる。これは試験用紙…、これは前回の講義の補足資料、これは解答用紙…。バラバラに渡してきて、用紙を確認してもそれが何であるか何故か分からない。紙束が混ざらないように肩に背負うのが精一杯だった。先生に確認しようとしても、うやむやな返事を返され、しかもちゃんと仕事はするようにと念を入れて言われてしまう始末。先生は急ぎ立ち去ってしまう。うまくやれる自信が全くないその仕事に冷や汗をかくしかなかった。

用事があったのか、次の試験までの10分の休憩の間に別の教室に行った。途中で案内の女性に「…に行くにはこっちです」といったようなことを言われて、それに従って歩いてきた。そこも休み時間中で10分後に試験があるようだった。ただ、周囲での内容を聴いている限り、この試験は歴史数学の授業のようなものの試験で、平易な数学の問題をやるだけだとわかり、自分がここにいる意味が無いということをさとって、さきほどの物理の先生と話していた教室に必死で走って戻る。階段を急いで降りて建物を出て、キャンパスを走る。どこだか分からないけど走るしかない。途中、さきほどの案内の女性に「そっちは…ではないですよ」と大声で言われたが、一心不乱に走っていて気にしている隙がない。方向感覚も無いので、とりあえずさきほど歩いてきた道を逆戻りするので精一杯であったが、さきほど歩いてきた道すらもう分からない。肩に載せている紙束を落とさないように走るのが精一杯だった。

場面は一気に変わって正午ごろ。仕事が一段落したのか、なぜか心は穏やかだった。狭い部屋の中で、残った紙束を整理しながらコーヒーをいれていた。いれたてのコーヒーを注いだカップに砂糖を入れようとしたが、砂糖入れが家庭用ゴミ箱ほどの大きさもあり、なぜか担いで入れることになった。シンクに置いて砂糖をスプーンで取り出し入れていたが、なぜか蛇口が砂糖入れの中に入っており、蛇口から漏れる水が砂糖入れに入って大いに慌てた。その時、また見知らぬ女性に砂糖入れを扱うときのことを注意されたことが回想されたものの、そんなことがどこであったか、記憶だけがあって実際の場面がどこか思い出せず、また悩んだりしていた。結局コーヒーに口をつけなかった。

夕方、某氏が運転する自動車に乗っている。干支が一回りくらい若いけど外見が若くない某界隈で有名な青年だ。会社から内定が出たこと、論文が一段落したことを半泣きに近い状態で熱く語っていた。その割に自分を卑下ばかりするので、私が10年前に会社に入ったときは後先考えずとりあえず入社して周囲にライバルも仲間もいない中で最初の数年間頑張ったんだぞ、といった中立的というか何も考えられない状況であったとか、そんなことを語っていたような気がした。運転が荒いというわけではなかったが田舎の冬道であったので若干乗り心地に不安を感じたものの、どこだか分からない目的地に向かう自動車の中で10年間のことと朝からのことを回想して、本当にこれで大丈夫だったのかなと不安というか疑問に思いつつも、不思議な安堵感に包まれながら自動車が進む方向を見ていた。

2014年1月12日日曜日

ラノベかアニメのプレゼンの準備をしていたら変な展開に巻き込まれた

次の日にラノベ原作らしきアニメについて壇上でプレゼンテーションをする予定になっていた。

地下鉄駅直結の綺麗なビル群のロビーのようなフロアで監督と会った際、色々質問しようとしたところ、テレビのリモコンとも携帯電話ともつかないものを渡されて「ファンブックに書いてある番号を押せば、それに関わったアニメーターか脚本家につながるから」と言われて監督は去って行ってしまった。ファンブックは持っていなかったが、思い出そうとすれば内容が頭の中から出てくる状態であった。

とりあえず181番を押した。1、8、1と押したのではなく181と書かれたボタンがあったからとりあえず押したのだ。その他のボタン配置はうやむやで覚えていない。そうしたら場面が変わって、アニメーターらが集まる、天井が低い普通の作業場にいた。どうやらここで作画をしているらしい。脚本家も同じ部屋の別フロアにいる。先程のビルの中のフロアなのかもしれないが、先程のビルのように綺麗で新しいというわけではない。普通の民家のような内装であったが、そこそこ小奇麗に整頓されていた。

181番のボタンを押した反応で電話が鳴っているアニメーターがいて、早速呼ばれた。人のよさそうな感じの人で安心した。ただ、裏話といったものを少し話された後は、ただ雑談が続くばかりだった。作業環境について面白そうなので、話を聴いている振りをしてコンピュータばかり見ていた気がする。詳細は覚えていない。

そうしたら、別の脚本家かアニメーターの人に呼び止められ、そのまま食事に行くことになった。この人も知らない人だが、気さくな人だった。小奇麗なビルの通路を歩きながら「いや、お腹すいていたのと、ちょっと外に出て気分転換したかったんだよね」みたいなことを言っていた。しかしこのビル、地下鉄駅と直結していて商業施設も入っているはずなのに、全く人と全く出くわさない。早朝か深夜か田舎かというくらいであった。白っぽい石材を使った白っぽい綺麗な印象的なビル内装である。

場面は変わって上階にある食事がとれるカフェのようなところにやってきた。さきほどの人は座って何かを注文しているが、私はまだきょろきょろしていた。窓があって空が綺麗に見えて、カフェのフロア以外にも展望室的な役割もあるのだろう。黒っぽい半球のオブジェとそれを囲むように植えられている観葉植物も印象的だった。

私もカフェに入った。この階の丸っぽいフロアの真ん中あたりに相対的にこじんまりと存在するカフェであった。ここも白っぽい材質の外装なのは変わらない。

カフェに本棚があるのを見つけて、私は何故か本棚をくまなく探していた。何を探しているのかはよく分からない。そうしたら、カフェの席に中学時代の知人二人がいた。小学時代に多少遊んだだけで、特に友人というわけではない人だ。その知人二人が私に対して冷やかしの声を浴びせる。内容は「社長令嬢と結婚」といった感じの意味不明なものだった。一緒に来た脚本家かアニメーターの人は困った顔をしている。私は「それはいとこだし」と意味が分からない言い訳のような発言をしていた。全く意味が分からない。

そんな冷やかしの声を浴び続けながら私は本棚を探していた。たぶんプレゼンテーションに役立つ資料を探していたのではないかと思う。

冷やかしの声が終わらない中、一人の小さな、小学生くらいの女の子が入ってきた。全く知らない子である。その子は、冷やかしの声をかける二人に対し小さなぼそぼそとした声で話しかける。それでも不思議と離れた席にいる私には断片的に聞こえた。「おがたさんは……だから……で……」そしてその後の発言に脚本家かイラストレーターの人と一緒に驚いて声を出してしまう。「だから皇族なのよ」。こちらは二人で「皇族なわけないでしょ!」って何度も言っているが、冷やかしの声をかけつづけていた側はなぜか驚いて、黙ってしまったようだった。女の子の目は真剣なまなざしでこちらを見ている。

場が膠着状態になってしまったので、「調べるためにパソコンを取りに行ってくる」と言って私はホテルの部屋へ向かうことにした。本音を言えば、いつプレゼンテーションをするのかを知りたかったのと、スライドが一枚も出来ていなかったので、カフェで内職をしたかったという思惑があった。

2014年1月5日日曜日

特に受けなくてもよいテストを受けて嫌な思いをしていた

場面は大学の教室と思しき場所。まさに期末試験のようなテストが始まるところだった。

テストの内容は国語なのか一般教養のようなもの。新聞のような問題用紙が配られて、解答用紙が別に付いている形式だった。

誰もがテストは静かに受けているわけではなかった。場がざわつく場面もあった。私がよく分からず問題に苦しんでいると、それを笑う人もいた。

一つ分かる事は、自分はこのテストを受ける必要がないことだ。なのに何でこのテストを受けて問題も分からず苦しんで笑われるのか、理解に苦しんでいた。

場面は変わって同じ場所の二日目になっていた。また同じテストを受けていた。復習しておけば良いものを、また同じく苦しんでいた。周囲の人はほとんど一緒、何故かみんな同じテストを二日連続で受けていた。二日目は楽勝だと、余裕でものを飲み食いしている人すらいた。会場は笑いが起こったりしていたが、私は相変わらず苦しんでいた。

「昨日」手を出すことが出来なかった問題があった。問題用紙が新聞のような分厚さであったが解答用紙が見つからなかった。問題用紙の紙の束を探すと色違いの解答用紙が出てきて、こんな分かりづらい入れ方するなよと起こって解答用紙をぐしゃぐしゃにしてやぶきかけたら「そんなんじゃ解答できないよ」と前の人に嘲笑されてさらに腹がたった。

時間が迫るなか、問題が理解できず苦しんでいる最中に目が覚めた。

2014年1月3日金曜日

色々な場所に引越体験をして通勤通学実験をした

引越場所の物色をしていた。「上野」であるとか「五反田」であるとか、地名が出てくる。ただ、不動産屋ではない不思議な場所であった。

実際に引越作業が抜けていて、体験入居といったことをしていた。しかも複数の場所に同じ荷物を同時に持ち込んだ状態で。

出てくる地名こそ東京の地名であったが、実際の引越場所の数々は地元の音更町のものであった。その中で勤務地なのか通学先なのか、帯広市に近いとかそういうことを自転車で身をもって体験していたりした。

坂を登った上にある場所の物件は、小学時代から高校時代まで住んだ場所に新しく立ったアパートであった。ここは通勤なのか通学なのかにとっては不便であったが、隣にコミュニティセンターのようなものが立っていた。実際はそんなものは無いはずなのに。

気がついたらそのコミュニティセンターにいて、中に図書館があったり便利な場所であった。帯広市への移動は不便であるが、ここは良い場所だということを、誰かに語っていたが、誰に語っていたのかはよくわからなかった。

結局、引越場所の決定などすることなく、コミュニティセンターの駐車場から自転車で周囲を回って子供時代によく遊んだ場所などを巡ったりしていたら、誰かに呼ばれて帯広市へ急いで行く必要が出てきた。坂を降りると、存在するはずの横断歩道が無かったが、自転車なので原付のように自動車扱いを勝手にして二段階右折のようなことをしてお茶を濁していた。自転車に乗っているのにバスの時刻表が気になってチェックしていた。すべての風景は見たことがあるような、どこか違うような、不思議な光景の数々であった。一度、別の引越場所の候補地に戻ったりして帯広市へ急いで向かうのであった。

高校生になって見知らぬクラスで授業を受けていた

見知らぬ高校で数学の授業を受けていた。

最初は平方根の不等式の証明といった授業で、見知らぬ先生は生徒を指名して黒板の前で問題を解かせていた。自分は自分が置かれた状況が分からず、数学の教科書を探したりしていた。

後ろを向いたら、性格の良さそうな高校生ではあるんだけど、授業を全然聞いておらず雑談している集団がいた。とはいえ授業の迷惑にはなっていないようだった。

周囲の観察をしていたが、誰も知っている人がいなかった。真面目に授業を聴いている人も何人かいたが、多くの人が授業を聴いていなかった。何をやっていたかは十人十色である。

数学の授業が終わり、休み時間になった。私が何者か分かららない見知らぬ高校生たちが寄ってきて、色々聞いてくる。

先生がいなくなった黒板の前に一人の生徒がやってきた。大学時代の知人であるY君であった。彼は不等式の証明を別の方法で解こうとしていた。後で考えたらあれはヘルダーの不等式を使ったものであった。私は驚いて黒板の前までやってきたら、彼は「こうやっても解けるでしょ」と平然と言った。私は「この問題の次数を拡張しても同じように解ける」などといって平方根を伸ばしていったり三乗根にしたりしていたが、数式の運用は正確ではなかったように思える。

席に戻り、周囲の高校生達にお前は何者だといったことを口々に聴かれたが、自分が聴きたかったくらいだった。

休み時間が終わり、次は国語の授業になった。国語の教科書は探して見つけることができた。見知らぬ先生が国語の授業を始めたが、ただ先生が指している国語の教科書の場所は見つけることができず、国語の教科書をパラパラと探していたが、国語の教科書とは思えないほど市松模様であったり組み木模様であったり、色々なデザインが描かれたものであった。文章はほとんどなかった。

国語の授業で先生の雑談とも授業ともつかないよくわからない話、そして必死に国語の教科書の所定箇所を探しているところで目が覚めた。

2014年1月1日水曜日

入院セットは2セット用意しないとね

祖母に入院セットを用意してもらっていて、祖母が楽しそうに「入院セットは2セット用意しないとね」と言っていたが、横から誰かが「別にそんなに要らないし、必要になったらでいいでしょ」ってツッコミを入れていた。たぶん母だと思う。

それ以外の光景についてはあまり覚えていない。